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kusamoti.hatenablog.com
⚠️この記事のみ、2021年春の再放送を踏まえて考え直し、読みやすい様に改めて書き直しています
前回は作品の面白さの理由を語りましたが、今回は一番の核心である"友達の在り方"について考えます。
この作品を通して制作スタッフが伝えたかった友達とは何だったのか…?個人的に解釈してみます。
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▼自然と仲良くなっていました !
…では済ませない!!
”友達”のあるべき形とは…?
ところで!(突然!?)自分は根っからの「週刊少年ジャンプ脳」なのですが、ジャンプ作品を通して様々な友情の在り方を目にしてきました。
「同じ目標追ってたら自然に仲間なってた」とか、
「根性論!魂で繋がってるんだ!」とか、
「戦っていくうちに…腐れ縁だ」みたいな…
仲間という都合のいい言葉で、自然と敵対してた相手と仲良くなってる感じがしますよね。
自分はそういうジャンプのノリも嫌いじゃないし、
そもそも”友情”であって”友達”ではないのだけども…
他にも女子高生がキャッキャうふふしている様な、いわゆる日常・部活系のアニメありますよね。
これらは大抵最初から仲良しのパターンであり「面倒事(友人になるまでの過程)は視聴者も求めていないだろうし、批判が面倒だから描かなくていいや!」
って方向性のパターンが多いです。
…しかし、よりもいは違います。
報瀬の感動的な物語に話題を取られがちですが、
個人差がある”友達の定義”という難しい問題を様々な場面で深く掘り下げている作品なのです!!
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▼「許された友情」と
「許されない友情」について
5話にて。めぐっちゃんはあの悪行に対してキマリへの直接謝罪と行動力で挽回した事もあり、(多分)多くの視聴者からも挽回を得た訳ですが、
日向の友人は最後まで許せなかった💢💢💢
…という意見を多く目にします
「あいつらは最低、あんなの友達じゃないよね」
と一言で簡単に片付けられるシーンなんだけど、
制作陣がこの作品を作る上で南極より現実味がある、最も視聴者に考えて欲しかった問題だと感じました。
まず中学時代に日向を裏切った3人に、報瀬が彼女の気持ちを代弁する印象深いシーン。
この一連の件をよく観ると、相手側の表情が全く描かれていません。普通どんな反応をしたのか描く場面ですよね。何故って思いませんか?
勝手な解釈といえばそれまでですが、
視聴者側が彼女たちの立場だったとしましょう。
「~それだけの事をしたんだよ!?」と言われて
・”怒る°表情が浮かんだらその程度の関係だった
・”悲しむ”表情を思い浮かべたなら、前に進まない
・”後悔”したら、彼女達(私達)もまた成長できる
…んじゃないのかな?まだまだ人の数だけあると思う。
つまりなんだその…視聴者に委ねたのかなぁって。
…まあそれは一旦置いといて、本編に話を戻します。
彼女達が反論するシーンが描かれなかったと言う事は、彼女達も罪悪感は感じている筈です。
そもそもあの場に来ず、中学卒業の時点で日向とは絶交していてもいい筈なんですよ。
…でもお互いに踏み切れずにいた。
日向が浴室の場面でLINEの「削除」を躊躇っている事からも読み取れます。
3話にて、友達と付き合いが浅くLINE削除に躊躇が無かった結月とは対照的なのもポイントですね。
一方で友人達も先に届いたメールをよーく見ると「ごめんね」の文字が確認出来ます。
つまり彼女達にも後ろめたい気持ちがある、
完全な悪者ではない様に感じました。
ただそれが「後で謝れば許してくれるよね…」「そのうち時間が解決してくれるでしょ…」と日向側の気持ちも考えず安易に許しを乞ようとした結果であり、精算をしていない事を許せなかった?報瀬の逆鱗に触れた事で、作中では許されないまま終止符を打った訳なんですけど…。
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▼11話と「矛盾している?」
…12話の台詞を振り返ってみる
ともあれ、つまり制作陣は
「断りなく人のメールを読む程、他人へ踏み込む報瀬こそが友達としてのあるべき姿です!」という事を我々に伝えたかったのですね![完]👍
あれ?待って?
…それで いいの!?
いや、待たれよ。
続く12話で弓子さん(給食のお姉さん)は
キマリ達4人の関係をこう評しています。
「お互い放っておけるのは、いい友達の証拠だよ!」
…あれ??
11話:「友達が悩んでいるのなら、
踏み込んでも助けてあげよう!」
12話:「心配でも放っておけるのが、良い友達」
…って明らかに矛盾していませんか…?
報瀬の啖呵は大事にはならなかったみたいだし、
だからこそ日向も許可なくメールを盗み見た事を許したのかも知れませんけど、普通なら他人の心にまでズケズケ踏み込んでいい思いを・良い結果を迎える方ばかりではないのは明白です。
このシーンの見解の違い、初見時からずっと気になっていたのですが、私の頭だけでは未だに答えが見えていません。そこまで考えてる方もいないのか、感想ブログなんかでも触れている方も居ない。
…宜しければコメントで貴方の見解を!(えっ)
「場合による」のか「人による」のか、
はたまた「"今はまだ"踏み込むな」ということか…?
いや、そもそも正解なんて出していないのかも。
つまり よりもいスタッフがこの作品を通して、我々に伝えたかったのはもしかして…
"友達の定義"は
「人それぞれ」で仕方なし。
…という事…かな??
作中の台詞から察するメイン4人の友達の定義も、
性格だとか今までの経験してきた事は(作中では描かれていない部分も含めて)当然バラバラです。
・柵が無くフレンドリーなキマリにとって 友達とは
「離れていても表情や生活が分かる事」であり、
・他人から見れば面倒臭い性格の報瀬にとって
友達とは「自由(な存在)」であり、
・友人に裏切られた日向にとって
友達とは「嘘をついていない感じ」であり、
・友達が今回初めて出来た結月にとって
友達とは 初めての「ひらがな一文字」である…と。
一番上にも書きましたが、他作品ではそもそも
″友達″とはなんなのか、明確なアンサーがない。
誰がどんな論弁を並べても「正しい答えが無い様なこと」なんだから当然なんですけれども。
そこにめぐっちゃん(良い例)を、
表情が見えない陸上部(悪い例)を、
それぞれ描く事で、
「友達の定義は人それぞれで仕方ない事だけど、
悪い事をしたのに素直に謝れない様な関係…
それは少なくとも″本当の友達"ではないよ!」
…と本作を通して投げかけたのではないかな…と。
同じく友達の関係性について触れた10話でも、
"友達"の意味が理解できない結月に対しお父様(報瀬)は「"多分"、形も言葉もない」ものだと称していましたよね。
これこそ作品を通して視聴者に"今一度訴えてみたかった事"なんじゃないか?と勝手に思っておきます。
語感力が無くて申し訳ないけど、とにかく!
この難しい問題から逃げずに向き合い、今一度問いかけた制作スタッフに拍手を送りたいです👏
そして流し見で感動した気になってる貴方!!
もっと「よりもい」を考えながら、今一度見直して御自身の解釈を持ってみてください!!!
…って総括でした(酷い)
・・・③に続くけど、これは見なくてもいいやつです